滝口 征司(たきぐち せいじ)
農家としての心構え「農地を守り抜く事こそ我が使命、農地は日本の宝であり、この農地で育った大地の恵みを世の中に還元し、魅力ある農業を次世代に繋げていかねば日本の未来はないのだ」
滝口さんは先祖代々6代に亘って続く、自然豊かな天童高原や立石山を望む山形県天童市乱川の篤農家の長男として、生を受けます。農家としては6代目ですがそれ以前は武家であり、武家の時代から数えると11代目となる名家の家柄です。滝口家は当時より水稲、林檎、洋梨、サクランボの専業農家でした。滝口さんは幼少期から親の仕事を手伝っていましたが、当時は家業を継ぐ気は全くありませんでした。小学校から野球をはじめ、野球を極めるべく東海大学山形高等学校に進学します。高校在学中、滝口さんの心に変化が生まれ、家業を継いで農地を守る気持ちが芽生え始め、病害虫や土壌肥料の勉強を積極的に行う様になります。
高校3年生の時に卒業後は実家の農業経営に軸を移したかった滝口さんですが、親の薦めで建築系の専門学校に進学します。
1年間に亘り建築学の勉強を行いますが、農業を極めたい気持ちが強くなり思い切って退学、満を持して20歳の時に山形県園芸試験場(現:山形県農業総合研究センター園芸農業研究所)に実習生として入り、2年間の間、園芸品目の基礎研究を行います。
22歳の時に地元の天童市農協に就職、初めの3年間は本所で、後半の3年間は支所で営業指導員として農家の現地指導を行います。こうした現場での実績を積み重ねていく中で、より高度な専門技術を身に着けた滝口さんは28歳の時に実家に戻り、本格的に就農します。この当時、父が既に林檎、洋梨、サクランボの贈答用販売を行っており、滝口さんは新たな品目で挑戦すべきと判断、新たに食用菊、オクラ、白菜、キャベツ、トマトの営利生産を開始します。
実家に戻ったものの28歳から30歳の2年間は一切給料が貰えずに、野菜の販売で得た収益のみで生活を行います。29歳の時に妻と結婚、地元農家の高齢化による水稲の受託生産が増え、水田の作付面積が大きく増加、30歳から44歳までの14年間は全ての生産品目で徐々に作付面積が増えていきます。45歳以降は、水稲の受注生産が減ずるかわりに自社本田の作付面積が毎年2町ずつ増加し、規模拡大の勢いが加速します。
こうした中で47歳の時に農業経営力を高めるべく滝口果樹園から株式会社たきぐちファームへと社名変更し、法人化を図ります。
皮肉にもこの年は新型コロナウイルスが蔓延、米価が暴落し大打撃を被る事となります。48歳の時、凍霜害によってサクランボの収益が3割減、ラ・フランスの収益も3割減と経営的に大打撃を受けます。サクランボの雄蕊は雌蕊に比べて特に凍霜害に弱く、4月に入って開花した後の氷点下条件はサクランボの終了に直結します。
49歳の時にラ・フランスが凍霜害で収量5割減、更には50歳の時に、サクランボが温暖化による高温障害で収益5割減と近年連続して起きる栽培環境の悪化によって、基幹果樹の生産性が大きく落ち込む事となります。減収の原因は、開花時期に「3日暖かく4日寒い」という不安定な気候が続き、高温障害によってサクランボの雄蕊が乾燥、着果率が悪くなった理由によるものでした。こうした状況下で経営的に苦しくなった周囲の生産者の中には、サクランボの樹を切り倒す者も出てきました。
目下、コロナ禍以降、人件費やビニール代が2割高、資材代が3割高と経費高による経営の圧迫が続いている状況でしたが、滝口さんは今まで以上に農業、農地を守るべく力戦奮闘します。
51歳の現在、たきぐちファームは水稲18町、サクランボ1町5反、洋梨1町、林檎8反、桃&プラム2町、野菜5反6畝と多品目かつ大規模な作付面積を有し、農作業受託事業をも執り行う複合経営体として、ご当地天童市の農地を厳かに守り続けています。
「山形県産のサクランボ」ができるまで
山形県のサクランボの生産量は全国第1位(全国生産量の75%)、その栽培の歴史は150年以上にまたがります。明治8年に3本の苗木から山形県での植栽が始まりました。高級サクランボで有名な「赤い宝石」とも称される品種「佐藤錦」は山形県が発祥であり、大正11年に生みの親である佐藤栄助氏が「黄玉」と「ナポレオン」を掛け合わせて作出した秀逸品種です。
たきぐちファームの基幹品種である「佐藤錦」は高糖度、かつ糖度と酸度のバランスが抜群に良く、大粒になればなるほど果肉が厚く果汁たっぷりでジューシーな食味はサクランボの最高峰といえます。
また「紅秀峰」や「紅さやか」は山形県園芸試験場が昭和54年に交配、平成3年に品種登録した品種で、特に「紅秀峰」は高糖度、高結実性、高豊産性の3拍子の揃った滝口さんおすすめの一品で、甘味が強く美味しいゆえに女性に人気があります。
滝口さんが圃場を有する天童市乱川は元々桑畑が広がっており養蚕業が盛んな地域でした。
昭和20年代に滝口さんの祖父が戦争から帰ってきて、ご当地の新たな基幹産業を模索した際、果樹である林檎を栽培した事がきっかけで、周囲の生産者も果樹栽培を行う様になります。昭和30年代に祖父が加工向けのサクランボ品種として「ナポレオン」の植栽を始めます。この当時、サクランボの植栽は露地栽培であり、傷み易く長期輸送に耐えないゆえに、当時は缶詰での流通が主流でした。その後、生食需要が高まるにつれて施設栽培が普及し、雨に弱い「佐藤錦」が見直されてきました。栽培技術が高まるのみならず、冷蔵輸送技術の向上が相まって日本全国で生食の「佐藤錦」が楽しめる様になります。但し「佐藤錦」は自分の花粉で受粉できない(自家受粉ができない)品種であるゆえ、受粉樹を別途植栽しなければなりません。そのため「ナポレオン」や「高砂」などの品種が受粉樹として、更には平成6年に「紅秀峰」や「紅さやか」を新たな受粉樹として追加し現在に至ります。
果物の女王「ラ・フランス」
山形県の「ラ・フランス」の生産量は目下、全国第1位(全国生産量の80%)ですが、世界的にみれば「ラ・フランス」を植栽している国は日本以外、皆無でした。原産国のフランスでは、見た目の悪さと栽培技術の難しさから既に絶滅寸前でしたが、1991年にJA全農山形がフランス国立研究所に「ラ・フランス」の苗木100本を贈答した事でフランスでも栽培される様になったといいます。
昭和42年に当時皇太子であった大正天皇が東北行幸の際に洋梨の品種「バートレット」を下賜されたのが、山形県の洋梨生産のはじまりともいわれています。その後「バートレット」は缶詰加工用梨として栽培される様になります。大正元年に「バートレット」の受粉樹として山形県に「ラ・フランス」が導入されますが、この当時は「ラ・フランス」はあくまでも受粉樹に過ぎず、生食として評価をうけるのに60年以上の歳月を要しました。昭和40年代に輸送技術の向上に伴う缶詰から生食への移行で、山形から離れた日本全域の消費者が「ラ・フランス」を楽しめる様に。かくして昭和60年頃には山形県の「ラ・フランス」が特産品として日本全国に知れ渡ります。
独自の予冷追熟技術を確立
「ラ・フランス」は予冷追熱によってはじめて甘く美味しくなる果物です。たきぐちファームは昭和50年代、試験的に「ラ・フランス」の栽培を開始し、独自の技術革新による予冷→追熟ノウハウを確立します。滝口さんの「ラ・フランス」は10月中旬に収穫された後、2~3℃の冷蔵庫の中で2週間予冷し呼吸を抑制させます。その後、冷蔵庫から常温に戻して10~15℃で2週間追熟し呼吸を再開させる事で、香り豊かでジューシーな「ラ・フランス」に生まれ変わります。そのため収穫してから4週間かけて本当に美味しい完熟果実へと成熟していくのが「ラ・フランス」の予冷追熟工程なのです。こうした4週間を要する予冷追熟工程を省く為に、48時間のエチレンガス処理によって予冷追熟と同様の熟度促進を成し得る簡易技術もあるにはありますが、滝口さんはあくまでも「自然なる熟成」に拘っており、化学的な処理は一切行っていません。
収穫したての果実は1.6~1.8%程度の澱粉を含んでおり酸が多いのが特徴ですが、追熟が進むと澱粉が分解されてブドウ糖などの糖分が増加し甘味が強くなります。更に果肉に含まれるペクチンが追熟により水溶性ペクチンに変化し、とろみ感を増幅させる事で独特の舌触りが生み出されていきます。
こうした予冷追熟技術を確立した滝口さんは、昭和60年代に入り「ラ・フランス」の本格生産に着手します。この当時、地元の天童市農協で1コンテナ1万円の高単価で取引された事が忘れられない思い出であると滝口さんは語っています。こうした滝口さんの「果物の女王」とも称される「ラ・フランス」が山形県の名産品として大きく評価されたのを足がかりに、ご当地天童市において、日本最大規模の洋梨専門の選果場「ラ・フランスセンター」が建設される契機になった事は既に言うまでもありません。
高い技術と新たな発想で地域産業を守る
サクランボの白い花は春に咲き始めます。枝数に対して最適な花数に調整してこそ充実した果実が実るゆえ、人手を使って調整作業を行います。「佐藤錦」は他の品種と違って自家受粉出来ない品種であり、受粉樹となる「紅さやか、紅秀峰、ナポレオン、高砂」等を周りに植栽し、ミツバチよりも一回り小さなマメコバチに受粉を助けてもらう他、毛ばたきによる人工授粉を行います。その後は、樹体に対する果実数を制限するため摘果作業、果実の裂果を防ぐべくアーチパイプハウスへのビニール張り、果実への均等着果を促すべく混みあった葉の摘葉作業などの着色管理を行い、6月から7月の繁忙期を迎えます。
サクランボの収穫シーズンが終わると洋梨やその他の果樹、水稲、受託作業と次々に業務を熟し、樹園地の除草作業、お礼肥の施用、秋から冬にかけての改植、雪かき、冬剪定と一年中休む暇なく業務を執り行っていきます。サクランボ、洋梨ともに剪定を行う上で重要な点は枝の配置です。春先に葉が展開し始める場面を想像し、太陽の光が満遍なく当たる様に枝の向きや角度を調整し得れば、葉から得られる光合成生産物の果実への養分転流が円滑に進み、高糖度の果実を収穫できます。即ち、冬剪定の施し方次第で翌年の果実の充実度合が決まってしまうのです。
農作業と観光をセットにした「アグリツアー」で労働力不足解消に
目下、滝口さんが育てるサクランボの品種は営利品種として「佐藤錦、紅秀峰、紅さやか、ナポレオン、高砂、サミット」と6品種、洋梨の品種は「ラ・フランスとマルゲリット・マリーラ」の2品種です。「マルゲリット・マリーラ」は350~500gと大玉の洋梨で果汁かつソフトな食感で甘味と酸味のバランスに優れた早生品種です。
ご当地でもこれほど多品目の農産物を最高のパフォーマンスで育て切る生産者は滝口さんの他に存在しません。滝口さん曰く「天童の農業、日本の農業を守り抜く為、常に攻めの姿勢で自然と向き合い、農業の魅力を若手農家に伝え続ける事こそ我が望みである」と語っています。繁忙期の労働力の確保の為、他県から旅行者に作業委託し、その対価として賃金が支払われる「アグリツアー」を展開しています。高齢者や担い手不足による農業人口の減少、一時期に集中する農作業が課題として浮き彫りになる中、滝口さんは常に新たな発想で農業に向き合い、美味しいサクランボ、洋梨づくりに挑む謙虚な姿勢は正に篤農家の鏡といっても過言ではありません。農業経営は一人では成立しないゆえ、従業員の定着と能力向上が必要不可欠です。祖父や父の仕事を見て学んで育った滝口さんは、今後の農業の担い手にも同じく、「地域産業を守る強い気概を持って仕事を覚え、人と人との繋がりを大切に農業と向き合って欲しい」と語っています。
この様に、地元に根差した滝口さんの農興精神によってつくり上げられたサクランボと洋梨は、日本全国からの固定ファンが非常に多く、ひとたび各々の出荷先に販売を行うと高単価でも即時完売するほどの人気で、購入したい顧客が後を絶たず毎年予約待ちの状況が続いています。滝口さんの「佐藤錦」と「ラ・フランス」は全出荷量の50%が贈答用であり、内40%が個別相対である事からも、如何に滝口さんの商品が末端消費者に愛されているかがわかります。
こうした中、51歳にして「ネット環境で全国のお客様に我が子の様に育て上げたサクランボ、その名も「暉宝石」、そして洋梨、その名も「香女王」をお届けしたい、食べて評価してもらいたい」と極鮮マートへの出品を踏み切ることに。滝口さん曰く「品目や品種ごとに収穫のタイミングを見計らい、ベストな状態でお客様の手元にお届けする」との事。「商品が到着したらすぐに軽く水洗いし、先ずはそのまま食べて高糖度かつ濃厚な滝口のサクランボ、洋梨を感じて欲しい」と語る滝口さん。
日本一美味しいサクランボを目指し「本当に美味しい果実は生食が一番、サクランボは鮮度が命で5日以内に食べきって欲しい、食べきれない場合はカルピスの原液に入れて冷凍すると食味が落ちず、チェリーシャーベットとして食すと最高、更には贅沢にもチェリージャムにして食べても良い」との事。「本当に美味しい洋梨は生食が一番、食べ頃のサインは、果実上部の軸周辺にしわが生じてきた時、上から縦に半分に切って、スプーンですくって食べると剥きにくい皮も問題にならず美味い、ヨーグルトと混ぜて食べると絶品であるが、チーズと合わせてお酒で楽しめば最高に美味い、食べきれない場合は冷凍庫に入れて、洋梨シャーベットとして食べると良い」と語る滝口さんです。
極鮮マートの皆様には最高級の秀品しかお届けしません。「暉宝石」の名を冠する滝口さんのサクランボ、そして「香女王」の名を冠する滝口さんの洋梨はまさしく特級品。これがたきぐちファームのこだわりです。
たきぐちファームこだわりのサクランボと洋梨
「サクランボ」は完熟状態での出荷を徹底
サクランボは、収穫のタイミングを極限まで遅らせてギリギリまで樹で熟した状態で収穫を行う「遅もぎ」が非常に重要です。完熟状態になったら、その日の朝に収穫後、即時出荷、最短で消費者の手元に届く様に手配しています。収穫前には必ず自ら食し、糖度と酸度を確認、品質チェックを徹底しています。特に「佐藤錦」は糖度が14度以上、場合によっては20度になる事もあり、高品質の状態で配送する為には包材の工夫が必要不可欠です。それゆえ、滝口さんが専用に拵えた特注の発砲スチロールの外装に保冷剤を入れ、その中にサクランボを閉じ込めて最高鮮度の状態で発送しています。鮮度が命であるサクランボは綺麗な「石垣詰め」ではなく「バラ詰め」でパック詰めしています。石垣詰めを行うと見栄えは綺麗ですが、人手の温度で鮮度が低下してしまうため、あえてバラ詰めに拘っているのは滝口さんの心意気です。
完熟状態品(即食)と未完熟状態品(追熟後食)の2種類がお手元に届く「ラ・フランス」
たきぐちファームの「ラ・フランス」は食味、芳香、外観(大玉)の全てが最上級の特秀の品物を発送しています。滝口さんは予冷追熟開始日から「ラ・フランス」の食べ頃がいつなのかを判断し、その日から逆算して消費者に発送する日にちを決定しています。出荷前の品質確認を3度に亘って行い、贈答用にも適したパッケージに工夫を凝らしています。滝口さんの「ラ・フランス」は完熟状態で直ぐに食べ得る果実が7割(4~6個)、届いてから1週間程度追熟が必要な未完熟状態の果実が3割(2~3個)と2種類の状態で消費者の手元に届きます。両者はフルーツキャップの色から判別可能であり、一目瞭然で食べ頃の果実がわかるようにしています。滝口さんは他の農家が手間がかかるとして行わない、夫々に熟度が異なる果実を1箱に閉じ込めて発送を行うという、画期的な取り組みによって消費者から高い信頼を得ています。
こだわりの土作り
アミノ酸を主体とした有機質肥料による養分供給効果と牛糞を主体とした完熟堆肥による土壌改良効果のW効果を活用して、化成肥料の使用を極限まで抑えた肥培管理を行っています。また微量要素を必要に応じて施用し、バランスのよい施肥管理を行う事により、糖度や食味の向上を高次元で実現し秀品率の高い果実生産を実現しています。
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