森田 光貴(もりた こうき)
農家としての心構え「八代から世界に」
森田さんは、熊本県八代市地域の氷川町にて柑橘類を栽培しています。父のみかん畑を受け継ぎ、新規就農してから8年目になりますが、森田さんが農業を志すまで多くのことがありました。
森田さんは地元の高校へ入学後、高校生活になじむことができず、人間関係から逃げるように家に引きこもる生活になっていたそうです。自分の部屋にこもり時間だけが過ぎていく日々。家族に申し訳ないという気持ちから、いつしか生きていることにも罪悪感を感じるように。
ご自身が生きているのかすでに死んでいるのか分からない日々のなか、ある日、祖父からみかん畑の手伝いを頼まれます。「当時は家から出ることが辛く、あまり気乗りしなかったのを覚えています」とは森田さん談。しかし家族に迷惑をかけている気持ちがあった森田さんは、祖父を手伝うことを決め、みかん畑へ行ったのです。
久しぶりの外の空気は新鮮で、みかんの木々を吹き抜ける風が気持ち良かったことを今も覚えているとのこと。実際に作業をやってみると、部屋にこもっていた森田さんにはきつい仕事で、「こんな作業を祖父はいつも一人でやっているのか」と驚きます。その時、森田さんは漠然と祖父の助けになりたいと思ったのです。
それからの森田さんは通信制高校へ編入し、農業を学ぶため県立農業大学校へと進学。大学校では、農業への熱い思いを持つ仲間たちと出会い、共に寮生活を行なったことで、森田さんにも熱い思いが芽生えていました。祖父のためにやりたいと思っていた農業でしたが、仲間たちと共に学ぶなかで、祖父だけでなくご自身を支えてくれた大切な故郷のため、町の特産品である農産物でもっと故郷を盛り上げたいと思うようになったのです。
しかし当時の森田さんには圧倒的に技術や知識が足りないと感じ、大学校を卒業後、水俣市のデコポン生産法人へ就職し、デコポン生産について学ぶことになります。実際に学びながら働いてみると、大学校時代の実習では分からなかったことが沢山あり、きつい作業も多いことが身に染みて分かりました。この仕事は楽ではない、それでもやりたいと覚悟が決まった瞬間でした。
2年半の法人での勉強を終え、森田さんは帰郷。祖父を手伝いたいと思ったあの時から8年の月日が過ぎていました。祖父にみかん畑をやりたいことを伝えましたが、祖父はその時すでに認知症になっており、あまり分かっていない様子だったそうです。
そうしてついに念願の農業を故郷で始めた森田さんでしたが、祖父の作っていたみかん畑だけでは経営が難しく、近くのみかん畑を借りることで面積を徐々に増やしていきます。そこで出会ったのが、八代地域特産の「晩白柚(バンペイユ)」です。祖父のみかん畑にはなかった果樹でしたが、森田さんが目標とした、農産物で故郷を盛り上げるという理念にかなった作物でした。
晩白柚とは、日本ではほぼ八代地域のみで生産されている、世界最大の柑橘です。運良く晩白柚の畑を借りることができた森田さんは、晩白柚農家を志すことになります。なぜなら、子どもの頃から1年に1度食べる晩白柚が好きだったからです。
こうしてメインの作物が定まった森田さんでしたが、それまで目標としていた祖父がその年に亡くなります。森田さんが農業の道へ入るきっかけとなった祖父の死。しばらく仕事に手がつかない日々が過ぎました。しかし、祖父のためにも良い作物を作り、多くの人に喜んでもらいたい。この思いからまた立ち上がることとなったのです。
現在の森田果樹園は、森田果樹園の名前を知ってもらうとともに、晩白柚の知名度を上げるべく、SNSでの宣伝に力を入れています。また、晩白柚を作る若手の仲間と共に、いまでは生産量が徐々に減って危機的状況にある晩白柚を次の世代につなげるため、新たな取り組みを行なっています。
そんな状況下で、森田さんは極鮮マートへの出品に踏み切りました。味はもちろん、除草剤不使用など、安全面にも配慮した晩白柚。ぜひ「世界最大の柑橘」の美味しさを一度ご堪能いただけますと幸いです。
森田果樹園のこだわり
森田さんは、八代市の特産品である「イグサ(畳の原料となる植物)」を周囲に敷いて雑草の発生を抑え、除草剤不使用で栽培しています。ただでさえ栽培が難しく手間がかかる晩白柚ですが、さらに一手間を加えて安心・安全にも配慮しています。
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